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第4章 宇宙の歴史

第4章 宇宙の歴史

1 生命体としての銀河
 宇宙の構造について、ここまで銀河の相互関連性を金科玉条のごとく強調し、全ての銀河が絶対的安定性を保って離れているかのように説明したが、厳密に言えば、宇宙の実態は必ずしもそうではない。幾つかの銀河が銀河集団を構成したり、正面衝突を起こしているものもある。これらの現象についても補足的に一通り説明しておかねばならない。ここで、時間の概念を登場させる。文字どおりの「宇(空間)宙(時間)」について語ることとする。
 宇宙の銀河は全て旅する銀河である。銀河は生きているから、当然にゆっくりではあっても絶対に動いているのである。
 銀河同士が大きく接近すれば、その相互間の引力が卓越して、当然に動きの方向が変わる。その距離が近ければ、相互に公転するようになることも自然の現象である。そこに、また別の銀河が加わり、銀河団を構成することも当然に有り得る。
 かといって、全ての銀河が銀河団を構成するように特質化することもない。銀河団同士または銀河団と1つの銀河の接近で、幾つかの銀河が動きの方向を変え、銀河団から離れていくことにもなるからである。
 こうして、銀河はてんでんばらばらに動き回っているけれども、銀河全体の引力バランスには相互関連性が働いているから、1箇所に寄り集まってしまうことは絶対に有り得ないのである。
 こうした様々な銀河の動きの中から、特異な現象も時として起こり得る。まれに銀河が正面衝突を起こすのである。といっても、恒星と恒星との距離は光年単位で離れており、恒星同士が正面衝突することは、奇跡のまた奇跡である。せいぜい異常接近した恒星が動く方向を大きく変えて、所属する銀河を変えることが極めてまれに生ずるだけであろう。もっとも、恒星が新たに生まれようとしている、大きく広がった希薄なガス体の場合は、そのガスの一部が異常接近した別の銀河の恒星に吸い寄せられる確率は十分に上がり得る。
 従って、通常の場合は、銀河同士が正面衝突しても、全く何も起きず、お互いに静かに通り過ぎていくだけとなる。こうして、1つの銀河は1つの銀河としてそのまま存続する確率が非常に大きい。
 ただし、宇宙は無限大の時を刻んできているのであるから、こうした観点に立てば、銀河同士の衝突も無限大の回数繰り返されて、恒星の奇跡の衝突も必ず生じ、また、銀河同士の物質のやり取りも頻繁であったとも言える。そして、銀河同士の接近の仕方によっては、銀河が合体したり、分割されたりという現象も、全ての銀河において何度も起こったと言える。現に、そのような現象が起きている銀河が観測されている。
 しかし、このような現象が起きる確率は、何億年に1回といった程度でどこか1箇所で起きるだけであろうし、全ての銀河がこうした経験をするには、それこそ何兆年という時間の経過を要する。
 そうした兆年単位の履歴を踏んで、今日の銀河が変遷し、存在しているのであり、そして未来永劫、在り続けるのである。
 人類の歴史は100万年単位で、生物の歴史は1億年単位で、太陽系の歴史は100億年単位で語られるように、広がりが大きくなるにつれて2桁上の単位となり、銀河の歴史は1兆年単位で語られるのであって、銀河がすっかり様相を異にする、つまり全宇宙が衣替えするには100兆年を要しよう。
 こうして、雄大な時間の流れの中で、銀河も生命体として存在しているのである。そして、宇宙は、無限大の時を刻み続ける。

2 宇宙背景放射は最果ての銀河の光
 同一波長の電波が宇宙のあらゆる方向から恒常的に地球に降り注ぐ、という宇宙背景放射が、どのような仕組みで起きるか。これは、地球の北極点と南極点の関係を応用して、「Em宇宙モデル」に当てはめてみれば、簡単に説明がつく。
 地球の北極点で高性能火薬を大量に爆発させたとする。すると、巨大な爆音が発生する。空気を振動させる音波である。地球の大気は不安定で、絶えず風が吹いており、南極点まで達することはないが、風が全くない仮想地球を想定しよう。
 北極点で発せられた大音波は、離れれば離れるほど広がってしまって、どんどん弱くなる一方であるが、どこまでも伝わっていく。赤道で一番の広がりをみせる。しかし、赤道を越えると音波は次第に寄り集まってくる。そして、南極点1点を目指してあらゆる方向から音波が押し寄せ、ついに南極点に濃密に到着する。
 つまり、この音波は、赤道付近では広がりすぎて観測できないであろうし、さらに進んでいけばだんだんに寄り集まってくるものの、無風であっても音波はそのエネルギーを空気に吸収されて微弱になる一方であり、観測できない。しかし、南極点付近に達すると、極端に濃縮効果が生じてきて、観測可能になろうというものである。
 そんなに遠くまで音波が届くわけがない、と思われるかもしれないが、地震の津波、これの発生は単なる大きなうねりであるが、南米のチリから遥か彼方の日本まで届くのであり、音波も無風であれば届き得る。そして、濃縮効果については、地球儀を眺め、放射状の経度線が極点1点に集中することから、十分に推し量られよう。
 宇宙でも同じ現象が起きているのである。最果ての銀河が発する光はあらゆる方向へ放射され、その光は、宇宙を旅して極端に衰弱するものの、最果ての銀河にとっての対極点である、我が銀河の地球には濃縮されて到着し、天空のどこもかもから押し寄せてくるように観測されるのが当然のこととして起きる。
 これが、宇宙背景放射の本質的要因である。地球そして太陽系が誕生した頃に、最果ての銀河から発せられた光が100億年以上も延々と宇宙を旅して、今やっと地球に到着し、それが宇宙背景放射として観測されるのである。
 もっとも、地球の対極の位置にドンピシャリ最果ての銀河があったわけではないし、空間のゆがみは不均質であるから、一部の光は曲げられてあらぬ方向へ飛んでいってしまい、地球には届かない。従って、現実には、最果ての近辺に存在していた複数の銀河の光の一部が集合して地球に降り注ぐことになる。
 そして、その光が、絶対温度2.73度という超低温の物体から発生する光と同質のものになっているのである。
 なぜ、その温度になるのか。小生には、全く計算ができないが、宇宙背景放射については、当初2説があった。「ビッグバンに由来する宇宙創世期に生まれた光の名残」とするものと、「遠方の銀河の光の散乱現象」とするものとの2つである。
 前者は、計算上、絶対温度5~7度の波長となってしまう弱点があるものの、等方向性(あらゆる方向から均等に来る)という長所がある。それに対し、後者は、計算上、絶対温度2~3度の波長となり、一致する長所があるものの、点在する遠方の銀河からの光では等方向性が説明できない、という弱点を抱えていた。
 その2説とも異なる小生の見解は、等方向性が当然に生ずるし、遠方の銀河の光の散乱現象と酷似する光の届き方であるから、絶対温度2~3度の波長となってよいと考えるのである。
 今日、科学者たちは、宇宙背景放射については、ことのほかビッグバン由来説に固執し、彼らは、絶対温度2.73度の説明が全く付かなくても、これに目をつむり、ひたすら沈黙するのみである。
 なぜに沈黙するのか。それは、唯一絶対の創造神の仕業としか言いようがない。欧米の科学者は皆、かの有名な物理学者、車椅子のホーキング博士が「宇宙に創造主の出番はない。」と公言しているように、神が宇宙を創ったとは決して考えていないけれども、「三つ子の魂百まで」であり、唯一絶対の創造神の存在は、幼いときから彼らのこころに染み付いている。
 科学者となって、たとえ神の存在を否定する考えを持つに至ったとしても、ホーキング博士は「宇宙は虚数の時間を通って無から生まれた。」などと、宇宙創造神話づくりに熱心で、彼らには決して輪廻転生の世界観に馴染めないのであり、従って、アインシュタインの「一定不変」の宇宙観を認めないのである。
 これを裏返して言えば、我々日本人が、仏教も多神教も信じない者であっても、ある時に世界が始まり、ある時に世界の終末が訪れるなどとは決して思いもしないのと同じである。
 我々日本人の世界観は、「我が巨人軍は永久に不滅です。」と、長嶋茂雄氏がジャイアンツを引退するときに発した、この言葉に象徴されるように、終末は決して来ないのであり、決して望まないのである。アンチ巨人であっても、小生がそうであるが、悔しいかな「これは名言だ。」と、うなるしかないのである。

3 ビッグバンは恒星の誕生
 次に、「ビッグバン」の説明に移ることとする。これは起こり得るし、きっと起きるであろう。いや、度々のように起きてもらわねば困る。ただし、ここで言う「ビッグバン」とは、銀河内の微小宇宙の誕生であり、ブラックホールと大いに関係する。
 アインシュタインの一般相対性理論は、これに適用できるのであって、大宇宙の誕生を、あれこれ高等数学を駆使して解き明かそうとしていた宇宙が、実はこの微小宇宙であったと断言できる。
 科学者は皆、見当違いをして、あらぬ方向を見ているのである。
 一般相対性理論を素直に解くと、宇宙は1点に凝縮してしまうという。これは当然の帰結であり、これで正しいのである。単に、宇宙モデルを取り違えているだけであるからだ。
 「Em宇宙モデル」では、先に説明したように、宇宙の全銀河のありさまを見たとき、銀河相互間の引力が双方向に働き、全体として釣り合ってしまって、1点に凝縮しようがない。これは、有限の空間であるがゆえの閉鎖型宇宙の構造的な特徴である。
 ところが、開放型の宇宙モデルを想定すると、引力は片方向にしか働きようがないから、全ての物質が宇宙の中心に引き寄せられて1点に凝縮してしまうのは自明の理である。
 同様に、「Em宇宙モデル」における恒星の誕生や消滅の場合は、広大な宇宙からすれば、それは極めて局所的な出来事であって、双方向の引力は無視できる。そこに存在する物質相互間は、距離が非常に近いために、局所における片方向の引力だけが卓越する。つまり、近似的には開放型の宇宙モデルと同質となる。
 この条件の下で、散らばった物質がどうなるかと言えば、星間ガスが凝縮していって恒星が誕生するのであり、我が銀河の中に、そのような場所が幾つか観測されている。この現象について、一般相対性理論を素直に解けば、天文学的知見と一致するであろう。
 さて、巨大な恒星ともなると、興味ある現象が起きそうだ。あちこちの銀河で超新星爆発がときおり観測される。太陽の質量の10倍以上もあるような巨大な恒星が死ぬときである。文字どおりの大爆発であり、恒星の物質の大部分は吹っ飛び、強烈な光を発する。なお、このときに惑星も全てガス化して消滅する。それと同時に、恒星の中心部では爆縮が起きる。巨大な力が中心部めがけて働くのである。
 すると、あらゆる元素の原子核は、原子核としての姿を保てなくなり、巨大な1つの原子核にまとまり、中性子のような物質だけでできた中性子星になってしまうと考えられている。この星の密度は途方もなくでかく、角砂糖1個に相当する1立方センチメートルで10億トン、富士山1つ分の重さになり、非常に強い引力が働く場となる。
 これよりも規模の大きい爆発とそれに伴う爆縮が起きたり、中性子星同士が引き合って一塊になったら、どうなるであろうか。
 中性子も、その姿を留めることができなくなるという。中心部へ向けて崩落するしかない。より小さな星になり、しかし質量は膨大であるから、引力も桁違いに大きくなる。空間は大きくゆがみ、光さえ外に出られなくなるという。そして、その星は、近隣に存在するガスを、アリ地獄さながらのように引きずりこんでいるのであると。これを「ブラックホール」といい、白鳥座にあるX-1という天体が有力な候補に挙げられている。
 光さえ外に出られないというのはどんな状態であるのか。素直に考えればよかろう。光の速度は絶対である。30万Km/秒である。ブラックホールもエネルギーを外に向かって発するから、当然に光が発射される。巨大な引力が働いている空間は大きくゆがんでいる。空間が著しく縮んでいると考えたほうがよい。光がブラックホールから1秒間に30万Km離れたつもりが1mしか進んでいない。そういう空間が極度に圧縮された世界である。でも、1m進んだら時間が経てばブラックホールから出てしまう。じゃあ、1秒間に1cmか。それでも出られる。1秒間に1mmでも出られる。
 出られないのは、1秒間に0mm、つまり、止まった状態でしかない。あらゆる方向に0mmしか進まない状態とは、体積を持たない「点」である。体積がない所には物質は存在し得ない。そこにはエネルギーだけが存在し得る。
 この状態は、はたして安定した状態であるか否か。
 宇宙は無限大の時を刻む。ブラックホールがいつまでも安定した存在として在り続けると、この宇宙の物質は全てがブラックホールに吸収され尽くし、我々はこの宇宙に存在しない。
 従って、ぎゅうぎゅう詰めになった物質なりエネルギーは、不安定なものであって、即座に爆発するしかないのである。
 その爆発は、いつの時点か。それは、中性子星が崩壊するときなのか、あるいは全物質がエネルギーに変換されようとする瞬間なのか、はたまたエネルギーが我々のまだ知らない何かの「有」となり、体積を持たない「点」になろうとするときなのか、いずれかは定かではないが、そうした時に「ビッグバン」が起きるのである。
 物理学者が、この観点に立って一般相対性理論を解けば、恒星が産声をあげる最初の出来事が明らかになるに違いない。
 なお、広大な宇宙であるから、ブラックホール爆発が度々どこかで起きてもよい。ひょっとすると超新星爆発がそれである可能性もある。我が銀河に数億個の恒星があり、平均寿命を100億年とすると、20年に1回程度は、新たに恒星が誕生する計算になるからだ。何にしても、ブラックホール爆発が恒星の最終的な臨終であると同時に、新たな生の始まりとなるのは確実である。
 ブラックホールの爆発について、もう少し補足しておこう。物質またはエネルギーがぎゅう詰めになった状態で、もうこれ以上持たないとなったときに、「斥力」が働くと考えてよい。これは、一般相対性理論の「宇宙項」で説明できる事柄である。そして、その爆発の速度は、インフレーション理論で求められたものとほぼ一致するであろうし、「斥力」が働くという世界は、宇宙の現象の中で、ただその一瞬に過ぎないことが証明されるであろう。
 ブラックホールが爆発してから先の出来事は、「ビッグバン」という宇宙創造の未来神話と概ね同じ経過をたどって、濃厚なガスが周辺に撒き散らされるであろう。ガスは水素やヘリウムが大半であろうが、このときに鉄などの重い元素も作られてよい。
 これらの様々な元素の1粒1粒の引力は小さいものの、その全体の総合的な引力は大きなものであり、やがてガスが渦を巻いて集まり始め、鉄などの重い元素から先に固まりだすの違いない。
 そうした塊が中心から外れて成長すれば、惑星になるであろうが、ほとんどは中心部に集まって恒星になっていく。こうして、新たな惑星や恒星が誕生すると考えてよいではないか。
 無限大の時の流れの中で、恒星はいつか臨終を迎え、それが新たな恒星を生むもとになり、やがて恒星や惑星が産声をあげ、そして、こうして誕生した恒星や惑星も、いつしか臨終を迎える。
 この無限の繰り返しのお陰で、今、我が太陽はほんの一時の時間であるが光り輝いているのであり、我が地球に生物が誕生することができたのであり、そして、今、小生が物を言えるのだ。
 宇宙に存在する元素は、水素76%、ヘリウム23%、その他がたった1%と言われている。恒星は絶え間なく核融合を続けており、水素、ヘリウム以外の重い元素がどんどんできてくる。恒星がいつまでもそのままの姿で在り続けたならば、重い元素ばかりになってしまう。つまり年老いてしまう。どうしても新陳代謝せねばならない。重い元素が水素やヘリウムという軽い元素の原料に衣替えできるよう、いずれは中性子星のようになった後、「ビッグバン」によって、新鮮な若々しい元素を一気に誕生させる必要がある。
 そして、それが永遠に繰り返される。輪廻転生の世界が宇宙を支配しているのである。紀元前何世紀もの前から、インド人は、この宇宙の全ての物体が等しく輪廻転生することを知っていた。我々は、素直にこの考え方を認めればよいのである。

 以上で、「Em宇宙モデル」の説明を終ることとする。
 ここに紹介した「Em宇宙モデル」は、アインシュタインの直観力によって8割方分かっていた宇宙像の、残り2割の最終部分に、小生に働いた直観力でもって完成させたものであるが、これぞ真理であると自負している。もっとも、アインシュタインは「いかなる理論も、無限小の真理しかつかんでいない。」と言っているから、少々残念ではあるけれども、取り敢えずは「Em宇宙モデル」についても、そのように受け止めていただいて結構である。

(つづき) → 第5章 流動的知性で考える
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プロフィール

昭和23年9月生まれの団塊世代人。    本名:三宅和豊              住所:岐阜県羽島郡岐南町三宅5-246  農家の長男として育ち、工業系の大学を卒業後、岐阜県庁に技術屋としてではなく事務屋として就職した変人。21年間県職員を勤めて、中途退職。父親が始めた薬屋稼業を平成6年に継いで今日に至る。平成12年頃から稼業の傍ら、母親の農業を手伝うなかで、百姓の魅力にとりつかれる。士農工商すべての身分を浅く広く何らかの形で経験していることが唯一のとりえである凡人。              著書は次のとおり。順次ブログアップ中。  随筆「ヤーコンの詩」(平成18年3月)   論文「食の進化論」(平成19年4月)   論文「新・学問のすすめ」(平成20年4月)論文「犬歯の退化」(平成22年9月)

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