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第1章 アインシュタインに学ぶ

第2部 数の文化と論理

第1章 アインシュタインに学ぶ

1 アインシュタインの流動的知性
 第1部と同様に、アインシュタインの話から始めよう。光の速度は唯一絶対という直感認識のもとに、物質とエネルギーは相互に変換し、物質は空間をゆがめ、空間のゆがみは時間を遅らせるという、誰も考えつかなかったことを、次々と発見したアインシュタインである。これは特殊相対性理論の中でのことであるが、紹介は省略するものの一般相対性理論の中にもそれはある。彼特有の流動的知性により、幾つものことが閃いたのである。まず、そのあたりを、中沢新一氏がその著書「対称性人類学」の中で述べておられるので、その抜粋から紹介しよう。(以下引用)

 アインシュタインは友人の数学者アダマールに、こう語ったそうです。(デービス、ヘルシュ『数学的経験』から)
 書かれたあるいは話されるような、言語または言葉は、私の思考機構においては何の役割も演じないように見える……、思考の諸要素として役立つと思われる肉体的な実在は、「自由意志的」に再生され結合されるある種のしるし及び多少明瞭な像であった……。上に述べた諸要素は、私の場合には、視覚的なもので、またいくらか運動的タイプのものである。伝統的な言葉あるいは他のしるしは、二次的段階においてのみ辛うじて探究されねばならない……。(孫引きここまで)
 アインシュタインはここではっきりと、科学的アイディアは自分の場合、言語的知性のレベルには浮かんでこないと断言しています。それは視覚的で運動的な性格を持つ「自由意志的」な思考のレベルで発生する、というのが彼の考え方ですが、それはまぎれもなく夢や音楽の生まれ出る、対称的無意識の活動している思考の空間にほかなりません。そして、アインシュタインの創造した「相対性理論」くらい、思考の創造したものとそれを創造した思考空間の構造が、深い共通性をしめしている科学理論もありません。現代における「科学の革命」をもたらした創造的思考には、多かれ少なかれ、こうした特徴を見出すことが可能なのです。(引用ここまで)

 アインシュタインが語った言葉は、直訳過ぎてチンプンカンプンであるし、中沢新一氏の解説も、ここだけを読むと謎めいていて、よく分からない。少なくとも中沢氏の著書「対称性人類学」1冊を読みこなさないと理解できないが、これを小生なりに解説しよう。
 アインシュタインは、光とか時間とか物質とかエネルギーというものについて、権威ある学者の理論を勉強して、それを頭に描きながら考えるのではなくて、そのものの本質を自分の五感で感知し、自然体の脳で見つめようとしたのである。 
 すると、そのものの性質、これは言葉では表せないものであり、また、それは決して鮮明なものではなく、もやっとした霧に包まれた何かであるが、そうしたものが脳に浮かんでくる。光とか時間とか物質とかエネルギーとか、そうしたものも皆同様に。
 そして、その性質同士がもやっとしているがゆえに、脳の中で自然と結び付いてしまう。そして、その結び付きが多少明瞭な像となって脳の中に現われてくる。その像をどう説明するのかという段になって、はじめて言葉が登場し、知られている物理学上の理論を適用したり、新たな数式を作ったりという作業に入るのである。
 アインシュタインはこのように言っているのであり、彼のこうした思考は、光は光、物質は物質、エネルギーはエネルギーといった全く別の異質なもの、つまり「非対称なもの」とは考えず、光=物質=エネルギーというふうに同質なもの、つまり「対称的なもの」と考える「自由意志的」な思考が働いていたのである。
 それは、あたかも夢を見ているとき、「自分=別の人」、「過去=現在」と、非対称なものを「対称的」に認識したり、また、ある旋律に重ねてはならない異質の旋律が自然と湧いてきて、勝手に重ねられてしまって、斬新な音楽ができたりするのと同じである。
 以上のように思われるのであるが、アインシュタインがこうした思考をすることができたのは、天才であるがゆえの天性のものと思われがちであるが、決してそうではないと小生は考える。
 彼は、大学を卒業するまでの間、優等生として成績を上げようなどとは考えず、単なる好奇心から好きな学問を好きな角度で自分勝手に勉強していたのであるし、卒業後は役所勤めの傍ら、趣味で物理学や数学に首を突っ込んでいたのであるから、いつも自由奔放に学問と戯れることができたのである。
 彼が「自由意志的」と言っているように、権威ある学者の言う学問を信じてしまって、それから抜け出せず、その学問の奴隷にされてしまうようなことは決してなかったのである。
 また、早々に教職者になっておれば、学術論文の提出と言ったノルマが邪念となり、かくも「対称的」無意識的思考にふけることはできなかったにちがいない。アインシュタインの偉大な発見は、一貫して彼の立場が「自由」であったことが幸いしたのである。

2 アインシュタインの生涯
 アインシュタインのその後をここに紹介しておこう。特殊相対性理論を発表したのが1905年、26歳であった。画期的な論文であったものの、物理学界はいたって無関心であった。例によって、ニュートン力学の奴隷たちは面くらい、拒否反応しか示せなかったのであろう。加えて、大御所の権威者からは、この理論は間違っていると批判されもした。しかし、幸いかな、味方してくれる著名な学者が登場し、その支持で次第に評価も高まり、発表の3年後に、彼はめでたく大学の講師として教職に就くことができた。
 一般相対性理論を完成させたのが1915年で、第一次世界大戦の最中であった。そのときも、どれだけも注目されなかったと思われる。しかし、4年後に待望の日がやってきた。1919年の日食である。そのときに、太陽の強い引力で光が曲げられ、あるべき所で光るべき恒星の位置がずれるのが観測され、そのずれ具合が一般相対性試論の方程式で計算される値と一致し、空間は物質の存在によってゆがむという、彼の理論が見事に立証されたのである。
 こうして、アインシュタインは、一気に、物理学界のみならず、全世界の人々の間に、名の知れた著名人となった。
 一般相対性理論の完成後は、重力と電磁波の2つを統一的な方程式で説明しようと、「統一場理論」の構築に取り組んだが、遅々として進まず、これは今日に至るも成し遂げられていない。
 ところで、驚くほどに閃きのいい頭脳の持ち主であるアインシュタインが、空間と物質とエネルギーの関連を解明し、一般相対性理論を著したにもかかわらず、なぜに宇宙の真の姿を解き明かせなかったのであろうか。このことについては、第1部のところどころで触れたが、本質的な原因が別にもあると思われる。
 それは、「統一場理論」の研究が進まなかったことと共通していよう。彼は、いつしか著名人となってしまい、学界の権威者として自分の理論を守らねばならない立場になってしまった。
 これにより、無名時代とは違って、「自由意志的」発想がどれだけもできない研究環境に、自らを置いてしまったのである。
 彼自身も、序章で紹介した名言で「権威を軽蔑する私を罰するために、運命は私自身を権威者にしました。」と言っているように、権威者としての自覚が生じてしまったら、もう、どうすることもできないのである。自らが構築した理論に、自身がその奴隷になって
しまっており、そこから脱却することができず、ひたすら守りに入る以外に道はなくなってしまったのである。
 新たな閃きを求めようと思ったら、先に紹介した「3次元ポアンカレ予想」を解くことに成功したロシア人科学者ペレルマンのように、どこかに雲隠れして全ての権威を捨て切るしかないのである。
 アインシュタインが有名人となって十数年後の1933年、ヒトラー政権が誕生すると同時に米国へ亡命した。その5年後の1938年に、ドイツの化学者ハーンとオーストリアの物理学者マイトナーの共同研究により、ウランの原子核分裂で巨大なエネルギーが発生することが発見され、長らく予言のままであった特殊相対性理論の「E=mc」が実証された。これが先に述べたとおり1945年の原子爆弾投下に繋がったのである。
 彼は、このことに関して痛切に自己責任を感じ、「原子科学者協会」の会長に就任するなどして、核兵器反対・廃絶を強く訴えていった。なお、彼は、第一次世界大戦後から熱心に平和活動に取り組んでいた平和主義者でもある。彼は、1947年頃から体調を崩していき、1955年に永眠した。享年76。
 アインシュタインは、1922年に日本にも招かれて、講演して回り、その歓迎振りと欧米とは異質の日本文化にいたく感動したのであるが、その頃すでに平和活動に取り組んでいたところをみると、彼は、「E=mc」の予言が近い将来恐ろしい殺戮兵器になることを予感していたのではなかろうか。
 そして、親密感を抱いていたその日本に原子爆弾投下という最悪の事態を招いてしまい、良心の呵責に苦しみ、それによって瞬く間に体調を崩していったとしか思われないのである。
 なお、無信仰であった彼は、遺言により、聖職者なしでの内々の葬儀で済ませ、墓も作らず、遺体は荼毘に付して遺骨を近くの川に流すよう希望し、そのようにされたとのことである。
 自由奔放な青春時代。世界的な有名人としての実年次代。最後は悲劇の人。これがアインシュタインの人生であった。

3 アインシュタインと宗教
 アインシュタインについては、まだまだ語らねばならないことがある。それは宗教との関わりである。ユダヤ人にして無信仰ではあるが、「人生の意義に答えるのが宗教だ。」とも言っている。
 彼特有の「自由意志的」な考え方で、何でもありだから、相矛盾することが同居していると、早とちりしてはいけない。
 アインシュタインは、宗教と深く関わっているのであり、ここで彼の幾つかの名言を紹介しながら、それを説明しよう。彼の名言の中で最もよく知られているのが、次の言葉である。
 “ Science without religion is lame , religion without science is blind ”
 直訳では「宗教のない科学は不具であり、科学のない宗教は盲目です。」とされることが多い。この文の意味を考えてみよう。
 “ Science ”は広義では学問全般を指し、狭義では自然科学であり、ここでは狭義で捉えておこう。なお、自然科学の概念は「種々の現象や事実を組織的に体系づけようとする理論であり、自然界の成り立ちについての真理を追究する学問」である。
“ religion ”は、宗教を指すものの、信仰という意味合いが強い。そして、前段のそれと、後段のそれとは、明らかに別々の異なった信仰を指している。
 なぜならば、彼は次のようにも言っているからである。
 「科学的探究は、特殊な宗教的感情を引き起こしますが、これは愚かな狂信的感情とは全く違ったものです。」と言い、その特殊な宗教的感情に関連して、「人は、永遠という神秘、生命という神秘、そして、この実在の驚くべき構造などの神秘について、深く思いを巡らせてみるとき、畏敬の念を覚えずにはいられないのです。」と言い、第1部で述べたとおり、「唯一の神という超自然的ではないところの、大自然や宇宙あるいはそれらの全ての仕組みを支配する法則性、つまり真理と同義語の神」、つまり、汎神論の神の信仰を、彼は持っていたのである。
 なお、“ lame ”は、今は使ってはならない差別用語である「びっこ」と同義で、“ blind ”は、同様に「めくら」と同義であり、ともに様々な意味を包含するが、前者は「不十分な」、後者は「無学な、無目的な」という意味もある。“ without ”は、「~は無し」という意味である。
 従って、この言葉の意味としては、「大自然や宇宙に畏敬の念を抱くことなく作り上げられた科学は、体を成していない。自然界の成り立ちについて科学する考えがない信仰というものは、まやかしである。」となる。そのように小生は理解した。
 また、この言葉の中で重要なのは、前段であり、彼が言うところの宗教観を抱かない自然科学は、とんでもない方向に向かってしまうと、現代の科学に警鐘を鳴らしているのでもある。
 そして、彼の汎神論の神の信仰は、仏教に通じるところがあり、「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教です。」と言うのである。
 これは、彼の研究態度が「大自然の神秘に畏敬の念を抱きつつ、毎日、この神秘をほんのわずかでも理解しようと試みるだけで十分です。神聖な好奇心を持ち続け、自分を単なる成功者にすることではなく、真に価値のある人間にすべきです。」という言葉で現われているように、これは、大自然に挑みかかる態度を取る一神教の立場ではなくて、大自然と一体になり、むしろ、それに従う態度を取る仏教思想に極めて近いものであるからである。
 こうした大自然への謙虚な態度は、思考方法を変えてしまうのである。大自然や宇宙あるいはそれらの全ての仕組みを支配する法則性、つまり、真理に対して、謎を解き明かしてやろうと挑みかかるのではなくて、積極性があるとすれば、それは唯一、好奇心だけであり、それ以外は素直で純真な感情でしかなく、こころにあるのは、単に、観察させていただきたいという謙虚な気持ちだけである。
 そうなると、大自然や宇宙と自己が一体なものとなって、「レンマの論理」が働き出し、また、「自由意志的」な思考あるいは「対称的」無意識的思考が働きだすのである。この場合において、神秘解明という「欲望」、仏教用語では「煩悩」が少しでも湧いたら、いくら優秀な脳であっても、途端に「ロゴスの論理」に支配されてしまい、門は閉ざされるのである。(「レンマの論理」「ロゴスの論理」の説明については、序章を参照されたい。)
 あくまでも、神秘をほんのわずかでいいから理解させてほしいとの謙虚な願いで留まっていて、はじめて、こうした思考回路が働き続けるのである。小生はそう思う。
 「Em宇宙モデル」も、そうした思いの中から小生の脳に湧いてきたのであり、アインシュタインの様々な名言を並べてみると、彼もそのようであったに違いないと思えるのである。
 ここに、仏教的思考が、科学全般において重要なものとなるのであり、一部の欧米の科学者は、真理探究のために仏教思想に触れようとしている。
 しかし、アインシュタインは言う。「私は、全ての組織された宗教に反対する。」
 しかりである。どんな宗教団体も営利活動をしなけらば成り立たないのであり、銭を払ってくれる信者なくしては存在し得ず、聖職者は邪念に染まるしかないのである。そこでは仏教思想がねじ曲げられており、真の仏教思想とは縁遠いことが多いのである。
 ところで、日本の科学者の中で、こうした仏教思想の重要性を感じている研究者は、はたしているのであろうか。欧米かぶれの甚だしい科学文化の中にあっては、一神教的な神秘解明型の「ロゴスの論理」に完全に染められてしまって、にっちもさっちも行かなくなっているのではなかろうか。そうだとすれば、まことに嘆かわしいことである。

(つづき) → 第2章 数の文化と論理(第1~3節)
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昭和23年9月生まれの団塊世代人。    本名:三宅和豊              住所:岐阜県羽島郡岐南町三宅5-246  農家の長男として育ち、工業系の大学を卒業後、岐阜県庁に技術屋としてではなく事務屋として就職した変人。21年間県職員を勤めて、中途退職。父親が始めた薬屋稼業を平成6年に継いで今日に至る。平成12年頃から稼業の傍ら、母親の農業を手伝うなかで、百姓の魅力にとりつかれる。士農工商すべての身分を浅く広く何らかの形で経験していることが唯一のとりえである凡人。              著書は次のとおり。順次ブログアップ中。  随筆「ヤーコンの詩」(平成18年3月)   論文「食の進化論」(平成19年4月)   論文「新・学問のすすめ」(平成20年4月)論文「犬歯の退化」(平成22年9月)

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