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原始時代の壁画と土偶の表現手法の違い

 「数の文化と論理 第3章 思考改革は対称性の論理にあり」の冒頭で次のように書きました。

 原始時代の土偶の類、例えば女性の全身像は世界中で出土するが、抽象化というか、はっきりとデフォルメされている。これが、時代が進むとともに具象化が進み、実物と違わぬ彫像となった。
 一方、原始時代の壁画として1万5千年前のラスコー洞窟の壁画が有名であるが、絵画の世界においては、初めから抽象性はなく、具象化から出発した。それが、時代が進むとともに徹底的な具象化の道を進み、写真と変わらぬ写実画となっていった。
 彫像と絵画、ともに芸術であるがスタートが全く違う。彫像といっても原始のものは粘土細工であるのだが、その作品には具象を拒否した、近代芸術作品と同質の主張がなされている。
 原始人は低脳であったから、彫像づくりが下手くそであり、今時の幼児の作品程度のものしか作り得なかったのでは決してない。
 彫像は、初めから抽象化を意識して粘土細工をしたと考えるべきである。しかし、絵画は抽象化しなかった。原始人が作った彫像も絵画も、目的とするところは原始宗教しか考えられず、同質のものである。ここに大きな疑問が湧いてくる。
 「対称性の論理」に基づく「彫像」と「非対称性の論理」に基づく「絵画」の両立が、スタート時点でなぜ起こったのかという疑問である。この疑問は棚上げして別の機会に譲ることとし、… (引用ここまで)

 随分と長いこと、この問題を棚上げにしたままでしたが、やっとここらでその答を小生なりに明らかにすることにしましょう。
 壁画と土偶は両方が近くで見つかることが多いという話を聞きました。
 ラスコーでも壁画がある場所からどれだけも離れていない所から土偶が出土しています。
 その壁画は男が描き、土偶は女が作ったに違いありません。そして、男は女が作ったものが理解できず、これを無視し、また、女は男が描いたものを理解できず、これを無視したのではないでしょうか。
 というのは、男には通常「A≠非A」という「ロゴスの論理」しか働きませんので、目にしたものを具象化するしかないのです。獲物となる動物を壁画にするのは自然の成り行きというものです。そして、それを暗闇の中で宗教的儀式に使ったことでしょう。
 一方、女は「A=非A」という「レンマの論理」が働きます。女は子供を生みますから、「自分=子供」であり、かつ「子供=自分」という無意識的思考をします。そうなると、写実しては意味をなさなくなり、壁画のような2次元表現では満足できず、3次元表現のデフォルメされた土偶となるのです。そして、女は獲物には興味を示さず、対象物は人間を抽象的に表現することになるのです。なお、作られた土偶は、安産と子供がすくすく育つように守り神とし、男とは違って明るい場所に祭ったことでしょう。
 男と女の思考回路の違いがこのような形で現れたのではないかと小生は思っています。
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プロフィール

昭和23年9月生まれの団塊世代人。    本名:三宅和豊              住所:岐阜県羽島郡岐南町三宅5-246  農家の長男として育ち、工業系の大学を卒業後、岐阜県庁に技術屋としてではなく事務屋として就職した変人。21年間県職員を勤めて、中途退職。父親が始めた薬屋稼業を平成6年に継いで今日に至る。平成12年頃から稼業の傍ら、母親の農業を手伝うなかで、百姓の魅力にとりつかれる。士農工商すべての身分を浅く広く何らかの形で経験していることが唯一のとりえである凡人。              著書は次のとおり。順次ブログアップ中。  随筆「ヤーコンの詩」(平成18年3月)   論文「食の進化論」(平成19年4月)   論文「新・学問のすすめ」(平成20年4月)論文「犬歯の退化」(平成22年9月)

Author:永築當果
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