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橋下徹の従軍慰安婦発言から「歴史認識」を考える

 これは、3年前にアメーバブログに投稿済みのものですが、このブログに再掲することにします。

橋下徹の従軍慰安婦発言から「歴史認識」を考える

 正しい「歴史認識」については、最近、「武田邦彦(中部大学)」のサイトで武田教授がシリーズで氏の見解を述べておられ、なるほどと再認識させられる事柄も多く、興味深く覗いているのですが、タイトルに挙げた件については、残念ながらまだ触れられていません。

 そこで、今までのところ、氏と概ね同じ見解を持つ小生ですから、本件について氏はどんな見解をお持ちなのか気になり、それが日増しに高まってきましたので、とうとうじっとしていられなくなり、ここに小生の見解を述べることにします。もし、氏の見解が出されたとき、小生の見解と同じか違うか、それがまた楽しみでもあります。

 まずは、橋下徹オフィシャルウェブサイトに「私の認識と見解」(2013年5月27日)が掲げられていますので、それを一部抜粋して紹介しましょう。
〇いわゆる「慰安婦」問題に関する発言について
 以上の私の理念に照らせば、第二次世界大戦前から大戦中にかけて、日本兵が「慰安婦」を利用したことは、女性の尊厳と人権を蹂躙する、決して許されないものであることはいうまでもありません。かつての日本兵が利用した慰安婦には、韓国・朝鮮の方々のみならず、多くの日本人も含まれていました。慰安婦の方々が被った苦痛、そして深く傷つけられた慰安婦の方々のお気持ちは、筆舌につくしがたいものであることを私は認識しております。
 日本は過去の過ちを真摯に反省し、慰安婦の方々には誠実な謝罪とお詫びを行うとともに、未来においてこのような悲劇を二度と繰り返さない決意をしなければなりません。(中略)
 私の発言の真意は、兵士による女性の尊厳の蹂躙の問題が旧日本軍のみに特有の問題であったかのように世界に報じられ、それが世界の常識と化すことによって、過去の歴史のみならず今日においても根絶されていない兵士による女性の尊厳の蹂躙の問題の真実に光が当たらないことは、日本のみならず世界にとってプラスにならない、という一点であります。

 さて、この橋下氏の「私の認識と見解」をどう評価するかです。
 まずは、そもそも論。唐突に出てきた「従軍慰安婦」問題ですが、なぜにこの時期にかような発言をし、慌てて詳細な記者発表資料を用意して長時間にわたる記者会見をしたのか、彼は何を考えているのか、です。これは、あの橋下徹らしいことだ、として、これ以上言及するのは止めておきます。

 次に、練りに練った「私の認識と見解」と思われるのですが、過去と現在と未来がごっちゃになってしまっていて、意味をなしていません。
 現在と未来に関しては目をつぶるとして、過去に関する認識が大きな問題になります。
 正しい「歴史認識」というものは、現在の価値観、倫理観で行ってはならないのです。70年前、80年前はどういう時代であったかというと、その時代は列強による植民地分割の終盤にあり、列強が弱小国(国の体をなさない地域を含む)を支配し、支配された地域の民の人権は制限されるのは当然であって、当時のグローバルスタンダードは「列強が支配し、人権を制限する」のは正しいことであったのです。
 そして、慰安婦=娼婦は、世界的に制度化されていた時代で、売春・買春それ自体はやってよかったのです。(ただし、キリスト教の影響が特に強い国では表向き禁止。蛇足ながら、今は時代が変わり、彼の国においては一部解禁され、将来的には広く解禁の方向のようです。)
 そこで、当時、自国から離れた戦地でどうしたかとなると、ウイキペディアによれば、米国・英国は私娼、多くの国は公娼、ロシアは占領地でのレイプという方法が基本的に取られたようです。
 この時代に最も悲惨だったのはドイツ人女性や満州から引き上げられなかった日本人女性です。女は戦利品の扱いで、ロシア兵による強姦どころか、殴るわ蹴るわ殺すわ、と散々な目に遭ったのですからね。

 簡略に述べましたが、これが、正しい「歴史認識」なのではないでしょうか。
 さて、日本軍が採った公娼制度ですが、これは募集し賃金を払うのですから、何ら問題はありません。もっとも、自分は慰安婦になりたくないが、家族が暮らしていくために止むを得ず、という女性は多かったことでしょうが、この時代、人身売買もどきで紡績工場に働きに出された女工哀史の物語があったのですから、慰安婦になったところで女性の尊厳が蹂躙されたことにはならないでしょう。
 ただし、強制連行となると話は違ってきます。大戦中に朝鮮の民間人を強制連行して鉱山労働をさせたとか、従軍慰安婦にしたとか、という事実があれば、民間人を強制連行したという行為に対しては責任を取らねばならないです。
 その当時において、特に婦女子の人身売買は国際的取り決めにより、してはならないことになっていましたからね。

 ここで、「歴史認識」について考えてみたいです。
 日本以外の国の大半は、その歴史の主要部分は、侵略し、侵略される、という、民間人をも巻き込んだ戦争の繰り返しです。その中で生まれ出る「歴史認識」は、必然的に「侵略は正しい」というものになってしまうのではないでしょうか。よって、侵略され支配された国は、「力が弱かったから仕方がない。しかし、力を付けたら逆に侵略してやる。」という考え方が正しいものとなりましょう。
 これは、大戦前後の時代までに止まらず、今現在においても言えることでしょう。

 ここのところを誤解しているのが日本人です。侵略し、侵略されるという時代をほとんど経験してこなかった平和な日本列島でしたから、「歴史認識」の主要部分は国内における支配階層の覇権交替でしかありません。よって、日本人は“平和ボケ”していて、グローバルスタンダードの「歴史認識」を持っていないと言わざるを得ないでしょう。もっとも、沖縄の人は違うでしょうが。
 国際的な正しい「歴史認識」ができていない日本人(沖縄県民を除く)ですから、悲しいことに、自虐史観でもって先の大戦を「歴史認識」してしまう輩が登場し、大手を振って闊歩するようになります。そして、これを反戦平和と絡み付けるから始末が悪いです。
 “平和ボケ”した日本人ですから、こうなるのも致し方ないかもしれません。

 例えば、車同士の交通事故の場合、外国であれば、自分の不注意は決して認めず、相手の不注意を大々的に指摘するのが常のようです。
 でも、日本人の場合は、大抵お互いに落ち度があるから、自分の非を認めて謝るのが普通です。もっとも、修理費用が高負担となっては困るから、相手の不注意を強く指摘することもありますが、そうして相手をひれ伏せさせてしまうと、後ろめたさを感じてしまうのが日本人なのではないでしょうか。
 相手をおもんばかるという、実に“おひとよし”な日本人です。
 もっとも、人と人の関係と、国と国の関係は、同一レベルで語ってはいけないでしょうが、人同士は和解できても、国同士はなかなか和解できるものではない、ということを肝に銘じておく必要がありましょう。

 このように、“おひとよし”で“平和ボケ”した日本人ですから、どんな場合でも「侵略は正しい」とは決して思えず、「侵略は間違い」という“やさしいこころ”から離脱することが不可能になっているのでしょうね。
 ここのところを見透かされて、中国や韓国が決着済みの戦後処理を蒸し返し、日本から莫大な経済的利益を得んとしているのでしょう。彼らには「侵略は正しい」という観念しかないのですから、日本にイチャモンを着けて脅し取るのは正当な「正しい」行為となるのです。

 民族もところ変われば民族性も変わります。
 日本人より数段“おひとよし”で“平和ボケ”しているやに思われる「ニューギニアの原始食人族」の実態を1960年代に調査された食生態学者・西丸震哉氏の著「食生態学入門」から紹介しましょう。

…ニューギニアの原始食人族には味に関係ある単語がひとつもない。ないということは必要がないことであり、意味がないことでもある。この地はほんとうにきれいさっぱりなにもない社会で、…盗み、不信、およそ人間社会にはごく当たり前にあるのも、…邪悪なもの、全てが存在しない平和な地であった。…
 原始社会人がわれわれよりも野蛮であるかどうか、ニューギニアの原始食人族と生活を共にすることで知ることができた。かれらは生きている人間の尊厳性を大切にすることでは、文明社会人よりも上である。いつもだれかが私の行動に注意していて、少しでも疲れているなとわかると、すぐに手をかしてくれるし、私がなにかをしようと考えると、その希望を正確に知って、たのみもしないのに喜々として先まわりしてやってくれてしまう。少しでも私がいらいらさせられたりすれば、たいへん失礼なことをしてしまった、と私の前にすわって殺して気がすむなら殺してくれという。
 人の心を傷つけることはかれらの社会では最悪の行為であって、そのために殺されても文句はいわないというのが、かれらの社会のごく一般的規則である。
 私が気安くかれらの失敗を許すと、そのあとは同じ失礼なことを二度としないように、絶大な注意を払うよになる。
 文明社会人では人の心を傷つけることをなんとも思わず、平気でそれをくりかえすのは、この原始社会人と比較したとき、本質的に野蛮なのはどちらなのかを考えさせられる。…

 日本人には、多くの諸外国とは異なり、非常にまれなものですが、まだこうした“やさしいこころ”が根強く残っていると思われます。しかし、そのニューギニアの原始食人族とて定期的に敵対部落を侵略します。
 どんな侵略か、それを同著から引き続き引用しましょう。

…かれらは部落単位で必ず異部族の敵対部落を所有している。…敵対部落とは交互に一定期間をおいて攻撃のやりとりをする。攻める側は、あるとき突然思い立って、成人男子が敵対部落に突撃をし、攻められる側は抵抗することなく、ただクモの子をちらすように藪に逃げ込むだけのもので、戦争というイメージとはかなり異質である。このとき運のわるい一人が矢に当たって死ぬと、そこで攻撃は終わりをつげ、この死体をかついで帰途につく。その翌日が人肉パーティーの祝日となる。…

 こうしたことを考えてみるに、人間の尊厳性を非常に大切にする彼らも「侵略は正しい」と考えているのではないでしょうか。
 日本人も、人間の尊厳性を大切にする点では諸外国に大いに誇れる民族なのですから、それはそれとして十分に育みつつ、諸外国との付き合いにおいては、「侵略は正しい」という価値観をしっかり持っていないことには、日本の将来は危ぶまれると言わざるを得ません。
 もっとも、大戦後における侵略とは、戦争によって軍隊が攻め入るというやり方は難しくなり、あの手この手で利権を獲得するという巧妙な方法に変わってはきています。よって、軍備増強の意味は薄らぎ、外交力をいかに発揮するかが問われます。

 いずれにしても、国というものを考えたとき、先ずは、我々皆が「日本人としての誇り」を持つこと、いつの時代もそうであったこと、ということから出発しないことには、外国との対等かつ正しいお付き合いはできないでしょう。
 そして、諸外国もそれぞれの国が強く誇りを持って対応してくるのですから、互いの誇りを認め合うことから国と国の交渉が始ると考えねばなりません。
 「誇りを忘れた日本人」です。この悲しい現実が、国内外ともに何もかも悪い方へ悪い方へと向かわせているような気がしてなりません。
 北朝鮮がかつて言いました。「日本はアメリカの51番目の州だ。」
 この言葉は、アメリカに媚びへつらい「誇りを忘れた日本人」であることを、ズバリ言い当てていると思うのですが、いかがなものでしょうか。
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プロフィール

昭和23年9月生まれの団塊世代人。    本名:三宅和豊              住所:岐阜県羽島郡岐南町三宅5-246  農家の長男として育ち、工業系の大学を卒業後、岐阜県庁に技術屋としてではなく事務屋として就職した変人。21年間県職員を勤めて、中途退職。父親が始めた薬屋稼業を平成6年に継いで今日に至る。平成12年頃から稼業の傍ら、母親の農業を手伝うなかで、百姓の魅力にとりつかれる。士農工商すべての身分を浅く広く何らかの形で経験していることが唯一のとりえである凡人。              著書は次のとおり。順次ブログアップ中。  随筆「ヤーコンの詩」(平成18年3月)   論文「食の進化論」(平成19年4月)   論文「新・学問のすすめ」(平成20年4月)論文「犬歯の退化」(平成22年9月)

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