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国旗、国家に誇りを持てない日本人

これは、アメーバブログに投稿済みのものですが、このブログに再掲することにします。

国旗、国家に誇りを持てない日本人

 旗日というものがありました。小生が子供の頃、もう50年以上前のことですが、祝日には玄関に日の丸の旗を掲げた家がけっこうありました。うちもそうでした。ところが、いつの間にかそうした家が少なくなり、今では皆無に近い状態になっています。
 国歌斉唱というのも、小学校のときにあったように思いますが、中学・高校で歌ったかどうか、記憶にありません。多分、なかったのではないでしょうか。
 小生が大学生となった頃、学生運動が真っ盛りとなり、旗は赤旗、歌はインターナショナルとなり、日の丸と君が代は帝国主義の侵略の象徴とばかり、毛嫌いされ、否定され、学生運動に長く参加していた小生も日本の国旗も国歌も好きになれませんでした。
 これは、日の丸と君が代を押し立てて迫る右翼にアレルギー反応を示していたことも大きく影響していたことでしょう。

 しかし、あれから40年以上経った今日では、日の丸も君が代も好きになりましたし、日本人の誇りであると強く感ずるように変化しました。
 この心境の変化は、オリンピックで日本人選手が金メダルを取ると、その栄誉を祝して日の丸が掲揚され、君が代が流されますし、サッカーの国際試合で両国の国旗が選手の側に掲げられ、国歌が演奏されるという国際スポーツのセレモニーに慣れ親しんだことから来ていることも一因しています。
 でも、本質的には別のことからそう思うようになりました。

 どの国の国民も、その国の国旗と国歌を深く愛しており、かつ、誇りを持っているということに気付いたからです。
 国と国家は同じようであって同じでない。
 国とは郷里の意味合いを持ち、自分と仲間の暮らす土地の範囲をいうと、小生は理解しています。そして、国家とはその圏域の民を支配する法人であって、国家と民は利害が対立し、究極的には国家を亡くさなければ搾取から開放されないし平和も訪れないと理解しています。いまだ、マルクス・エンゲルスの思想に随分と染まったままです。

 今、ギリシャは大変な経済混乱の中にありますが、民の人権と生活の確保に向けてギリシャ共産党はマルクス・エンゲルスの思想のもとに果敢に戦っているとの報告を、とある雑誌に掲載された、友人のギリシャ訪問記で知りました。
 その中で、ギリシャ共産党の本部に国旗が掲げてあったという。聞いてみれば、国旗・国歌は、封建制度からの開放として誇らしいものであるとギリシャ人民はとらえているとのこと。
 こうしたことは、世界中どの国についても言えるのではないでしょうか。
 国旗・国歌は民族の団結の証しとして誇らしく掲げ、誇らしく歌うものとなります。

 日本の国旗は、日出(ひいずる)国をデザインしたもので、世界一素晴らしい旗であると誇ってよいものですし、日本の国歌は、一王家が千年2千年と世界一長く続いているという平和な国の証しとして、その歌詞の内容からしても世界で一番誇ってよいものです。
 特に小生は君が代が大好きです。“君”は天皇を指しますが、天皇が実権を握り民を支配したのはほんの一時であり、日本国憲法で謳われているように単なる象徴としての存在が長く続いたのが歴史的事実です。明治憲法の下においても実質上天皇に何ら権限がなかったことは明白ですし、天皇そのものは平和主義者でもあったのです。
 そして、君が代の歌詞の本質は、千年2千年さらにその太古の昔から他国の侵略を受けていないがゆえに、その国民は平和であり続けた日本、その幸運に感謝し、恒久平和を祈る歌であると言えましょう。

 これに対して、日本の国旗も国歌も、先の大戦(その前も含む)という侵略戦争の象徴としてこれを認めないという輩が多いのは実に残念なことです。
 歴史認識の違いからでしょうが、百歩譲って日本の国旗も国歌も忌み嫌わねばならないものであるとするならば、日本と言う国土に住む民族の団結の証しとして、それに代る国旗と国歌を作る努力を何十年も放棄してきた、その責任は重いと言わざるを得ないでしょう。
 それは赤旗でありインターナショナルだとおっしゃるかもしれませんが、それは国連旗みたいなもので、まずは民族なり地域でのプロレタリアートの団結がなければ何も事は始まりません。
 国家は悪であり、それと戦う必要はあるけれども、そこに住まう国民(人民)の団結の象徴として誇りを持って掲げ歌う国旗・国歌なくしてどうするか、です。

 これは歴史認識と深く関係しますが、日本以外は太古から侵略し侵略されるという歴史を繰り返しており、戦後においては軍事侵略から経済侵略に多くは姿を変えておりますが、これは引き続き行われており、国民(人民)の生活が他国の経済侵略によって脅かされているのは事実です。この侵略を防ぐには、まずもって国民(人民)の団結が求められましょう。
 これが、国際標準の歴史認識であり、国民(人民)の団結はかくあるべしということになるのではないでしょうか。

 諸外国の国民(人民)から、日本は実に不思議な国として見られていることでしょう。
 いまだ占領軍の基地がいたるところに存在し、政府はその傀儡政権であるからして実質的な外交というものが存在しない国、それが日本。
 これは、旧満州国と同じであり、やがては旧朝鮮のように併合されて米国の51番目の州に“昇格”する国、それが日本。
 といったところではないでしょうか。

 戦後、経済システムも社会システムもどんどんアメリカナイズされてきていますし、衣食住の文化もそうなってきています。
 そして、日本の古き良き文化をかなぐり捨てて、そうしたあらゆるものを更に突き進め、一日も早く日本人がアメリカ人になるのが、日本人の幸せを実現する近道なのかもしれません。ハワイのように。
 そろそろ学校では英語しか話してはならないという教育改革が求められましょう。そして、出版物も新刊は全て英文に切り替え、パソコンのキーボードも和文打ち込み機種は生産終了とするのです。

 日の丸と君が代をますます愛し、日本の懐かしき文化にますます惹かれるようになった還暦過ぎの小生ですが、悪足掻きはこれくらいにして、日本の新国旗・新国歌はともに“星条旗”であるとして、死に際には“星条旗”が歌えるようにしておき、棺桶には“星条旗”を掛けるように遺言しておかねば成仏できないのではなかろうか、そんなことさえ真面目に考えねばならなくなった今日この頃です。
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プロフィール

昭和23年9月生まれの団塊世代人。    本名:三宅和豊              住所:岐阜県羽島郡岐南町三宅5-246  農家の長男として育ち、工業系の大学を卒業後、岐阜県庁に技術屋としてではなく事務屋として就職した変人。21年間県職員を勤めて、中途退職。父親が始めた薬屋稼業を平成6年に継いで今日に至る。平成12年頃から稼業の傍ら、母親の農業を手伝うなかで、百姓の魅力にとりつかれる。士農工商すべての身分を浅く広く何らかの形で経験していることが唯一のとりえである凡人。              著書は次のとおり。順次ブログアップ中。  随筆「ヤーコンの詩」(平成18年3月)   論文「食の進化論」(平成19年4月)   論文「新・学問のすすめ」(平成20年4月)論文「犬歯の退化」(平成22年9月)

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