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第2章 真の宇宙像に迫る

第2章 真の宇宙像に迫る

1 アインシュタインの一般相対性理論
 引き続きアインシュタイン大先生に登場していただく。特殊相対性理論を発表した10年後に、彼は一般相対性理論を発表した。
 等速直線運動という限定を外して、加速度運動をはじめ、どんな運動を行う場合にでも適用できるように拡張した理論である。加えて、時間・空間の相対性と別扱いしてきた物質までも統一し、時間・空間・物質の相対性を明らかにしたものである。
 一般相対性理論の基本となる重力場の方程式は次のとおりであるが、この式は、4次元の時空における10元連立方程式で、かつ、非線形偏微分方程式であり、ゆがんだ空間での幾何学を取り扱うリーマン幾何学を駆使しつつ、テンソルという行列式を解いて……。
  宇宙6
 完全に小生の理解の限度を超える、雲の上の世界のことであり、空間と物質の相対性を、アインシュタインがなぜ思いついたのかということも、中沢新一氏が言うところの、ただただ彼特有の高次元な流動的知性のなせる業(わざ)としか言いようがない。
 一般相対性理論は、光の速度の絶対が、今までは絶対であった時間、絶対であった質量、絶対であったエネルギーなど、何でもかんでも相対なものに落とし込めてしまうと言っているのであり、小生は、これに空恐ろしさを感じる。
 考え過ぎかもしれないが、ここに一神教の誕生を想起させる。古代文明が発生する前は、どこもかも多神教の世界であり、山も川も木も動物も神であり、太陽も月も大地も嵐も神であった。それが、中東から地中海にかけての世界では、嵐の神が順次力をつけ、次々と他の神々を殺していった。他のものは、単なる山であり川であり木であるとされてしまった。そして、ついに、ユダヤ救済神(一説には嵐の神)のヤハウェが、ユダヤ人の「出エジプト」のときに、「私の他に何ものをも神としてはならない」と、モーゼに啓示し、一神教のユダヤ教が誕生したのである。
 これを一般相対性理論に当てはめれば、光の神が、時間の神、空間の神、物質の神、エネルギーの神を次々と殺してしまい、唯一絶対の神「光」が時空を支配したことになるのである。
 小生は生粋の日本人であり、今でも多神教の世界に住んでいる。神は存在するかと問われれば、存在しないと答えるが、絶対に神は存在するとされるならば、唯一神ではなくて、大勢の平等な神々でなければならないと考えるのである。
 アインシュタインはユダヤ人であり、唯一絶対の神を信仰するユダヤ教の文化の中で生まれ育った。彼自身は、若き頃からユダヤ教を嫌っており、それを信仰していなかったが、文化というものは「三つ子の魂百まで」であり、「絶対なものは唯一つしかなく、他は相対なもの」という感覚を自然に持っていたであろう。 
 それが、光の速度だけが絶対で、それ以外のものは皆、相対なものと考えるに至ったきっかけのように思われるのである。
 従って、相対性理論の全体が、そもそもは「唯一絶対なもの、それは<光>」から生まれ出た「未来神話」として誕生したとしか、小生には思えてならず、相対性理論は、唯一神を神とする「神学」である可能性をうちに秘めている空恐ろしさを拭えないのである。
 アインシュタインが、唯一神の論理で帰結することとなる「天地創造」ならぬ「宇宙創造」があると考えていたら、小生は相対性理論に深入りすることはなく、これを無視した。
 しかし、彼は、他の多くの科学者たちとは違って、なんと「宇宙は一定不変」であると考えた。これは、輪廻転生の世界観であり、紀元前の古代インド人が考えた世界観で、仏教においてもそうである。小生も知らず知らずそれに染まっており、死んだ後に魂なりその類のものが残るとは思っていないが、この世界は無限の時が流れる中にあると、何となく思われるのである。これも「三つ子の魂百まで」である。
 こうなると、アインシュタインの高次元な流動的知性は暴走しているのではなく、止めるところではしっかり止めており、真理をつかんでいるのではないかと思いたくなるのである。
 物理学の世界では、アインシュタインの存命中また死後に、幾つかの宇宙の謎を解く現象が発見された。しかし、世の物理学者は皆、暴走している。それらの現象をことごとく宇宙創造の根拠としてしか見ることを知らず、まっしぐらに一神教の世界へ「爆走」しているのである。小生には、そのように思えてならない。
 アインシュタインが生きていたら、また違った考えを持ち出してきて、「宇宙は一定不変である」ことを、とっくに証明したに違いないと思えるのである。
 アインシュタインが直感した、このことを解くことができる可能性が一番高いのはインド人であろう。彼らの世界観は輪廻転生であるし、ことのほか数学に長けた民族であり、物理学者も多い。彼らが相対性理論の奴隷から脱却できれば、それは可能である。しかし、一向にその様子がない。インドが「レンマの論理」の発祥の地であるものの、今日、これは軽視されているようであり、あまり希望が持てないようだ。日本人の物理学者となると、ことのほか欧米科学崇拝に凝り固まっているから、さらにこころもとない。
 じゃあ、どうするか。小生が、アインシュタインの跡を継いで、暇に任せて宇宙の謎解きをやってみるしかないと思った。
 特殊相対性理論は何とか着いていけたが、一般相対性理論には全く歯が立たないのは先に述べたとおりである。しかし、その中で何を言っているのか素人でも分かる解説本があり、それが大いに参考になる。また、一般相対性理論がさっぱり分からないからこそ、有り難いことに、その奴隷にされることもなく、まことに好都合である。
 そこで、解説本を読んだ。これで一通りの準備ができた。あとは、「レンマの論理」と「対称性の論理」を働かせ、非現実的と思われるようなことを思い巡らし、創作神話が小生の脳の中に湧き出せばよいのである。それに合点がいき、そして「さりげなく美しい」ものであれば、それは真理であろうというものである。
 そんなことをしたって、宇宙像が見えてくるわけがないと思われるであろうし、もし出てきたとしても、余りにも幼稚過ぎて仮説にもならない代物だと思われるだろうが、あに図らんや、自分でもびっくりするほど理にかなった宇宙像が見えてきたのであるから面白い。全くの偶然の産物ではあるが、大発見といえども案外そんなものかもしれないし、きっとそうだろう。

2 最新の宇宙論
 小生がたどり着いた宇宙論を述べる前に、先に“権威ある”最新の宇宙論を紹介しておこう。わけの分からぬ小難しいところは飛ばし飛ばし読んでいただければよい。

 宇宙は、無のゆらぎの中から虚数の時間において生まれ、トンネル効果によって実数の時間に非常に小さな大きさでポッと現われた。宇宙誕生の10のマイナス44乗秒後に、一般相対性理論の宇宙項(斥力)が働いて、インフレーション(急激な膨張)がほんの一瞬の時間に起こった。その時間は諸説あるが、10のマイナス42乗秒から10のマイナス34乗秒程度のことであろう。
 引き続いて、エネルギーが凝縮された狭小の真空空間が相転移を起こし、膨大な熱エネルギーが放出されて、「ビッグバン」という宇宙の大爆発が始まった。そして、超高温・超高密度の中で、次々とエネルギーが物質に変化していった。その3分後には、水素(陽子)とヘリウム(陽子と中性子各2個からなる)の原子核が完成する。この段階では温度が非常に高く、原子核と電子は離れ離れの状態、つまり、プラズマ状態になっている。
 ここからは、ゆっくりと時間が経過するのであるが、宇宙は膨張を続け、30万年後に温度が4千度に下がり、これにより原子核が電子を捕らえて原子の状態になった。すると、光を通すようになって宇宙が晴れ上がり、宇宙は暗黒の世界から明るい世界に急に変化したのである。
 そして、10億年後にはガスが渦を巻いて固まり始め、銀河が誕生し始めた。我が地球や太陽は、それから概ね100億年後に誕生したことであろう。宇宙は今日に至るも膨張を続け、当年とって150億歳ないし200億歳と推定される。
 なお、宇宙の終末は、このまま宇宙が膨張を続けて全ての恒星が燃え尽きて冷え固まり、または、光さえ脱出することができないブラックホールに吸収されて、それらが点在するだけの暗黒の死の世界になるであろう。もしくは、何十億年かの未来に収縮に転じ、1点に集中し、ビッグバンの正反対のビッグクランチで宇宙は終わるであろうが、ビッグクランチの先がどうなるかは見当もつかない。

 以上が“権威ある”最新の宇宙論の概要である。この中で、ガモフが提唱した「ビッグバン理論(上に記したビッグバンの始まりから宇宙の晴れ上がりまでの段落)」は、現代宇宙論の「標準理論」と呼ばれ、多くの科学者が間違いないと考えている。
 何のことやらさっぱり分からない宇宙の誕生や消滅であるが、誕生については、旧約聖書の創世記を読むとよく理解できる。天地創造の宇宙バージョンであるからだ。特に面白いのが30万年後の宇宙の晴れ上がりである。この部分を両者を重ね合わせて“翻訳”させていただこう。
 旧約聖書では、世界が暗闇から光あふれる明るい世界になったのは、アダムがリンゴを食べた後からである。宇宙バージンでも、宇宙ができた直ぐは暗闇であったと言う。暗闇から物語りは始まる。
 「イブ:中性子」が「蛇:電磁波」にそそのかされて「アダム:陽子」に「リンゴ:電子」を与え、「アダム:陽子」は「リンゴ:電子」を食べ、つまり、陽子が電子を捕らえて「罪を持った人間:原子」の状態になった。すると途端に「蛇:電磁波」は、自由に動き回れるようになり、世界は晴れ上がった。
 最新の宇宙論では、こうして光(電磁波)が誕生し、宇宙は明るくなったと言うのである。余りにも内容が一致するので、思わず吹き出してしまう。世の物理学者が皆、よくもまあ、こんなふざけたことを言ったり、信じるなんて、あきれて物も言えない。
 この2つの物語の一致は、形式上、レンマの論理である「A=非A」の発想に見えるが、これは単なる悪ふざけに過ぎない。旧約聖書の創世記のこの部分は作り話ではあるものの、その目的は、人の原初の「罪」の発生を説いている高尚なものである。
 欧米の科学者は一神教を信じているのであろうか。1951年に、時のローマ法王が「ビッグバン理論に共鳴する。」と発言したときには、物理学者が一斉に反発したのであり、宗教と科学は別物との認識をしっかり持っているはずでありながら、なぜか根本のところで一致してしまうのである。
 これは、アインシュタインが、一神教の唯一絶対という文化的思想により、光の速度を絶対とし、他のあらゆるものを相対なものとして、無意識的に「光」に他のものを平伏させたのと同様に、世の物理学者は、一神教の天地創造という文化的思想により、無意識的に宇宙は創造と終末がある、と思い込んでしまっているとしか言いようがない。

3 アインシュタインの宇宙
 アインシュタインは、世の物理学者とは違う。オール一神教の思想ではない。彼は、「宇宙は一定不変」であると言っていたのであり、そこには一神教と正反対の世界観がある。明らかに宗教文化的思想から脱却しているのであり、彼特有の流動的知性が働いた、類まれなる直観力のなせる業である。
 残念ながら、アインシュタインがなぜそのように考えたのかは、その説明が彼の口から語られていないので不明である。強いてあげれば、彼は「そもそも物質は無限大に離れられ得るのか。」という疑問を持っていたぐらいである。
 アインシュタインが思い描いた宇宙モデルの要点は、「均一に物質が存在する静止宇宙であって、空間が一様な正の曲率を持ち、閉じた球面を構成している。」というものであり、「宇宙の辺境はどこにも存在せず、ある地点から出発して1方向に進んでいくと、何ら変哲もない場所を巡った揚げ句に、宇宙を1周して出発点に戻ってしまう。」というものである。
 なお、この当時における宇宙の知見は、アンドロメダ座大星雲が銀河内星雲なのか外の銀河なのか、まだはっきりしなかった時代であり、銀河が数多く存在することを前提にはしていない。
 その後、銀河が幾つも発見され、1929年には米国の天文学者ハッブルが、当時の世界最大の望遠鏡で銀河を観察し、遠くの銀河が一定の法則で遠ざかっていることを発見した。「銀河の後退速度は、銀河までの距離に比例する」というハッブルの法則である。
 地球から見て、どの方向も一様に、遠い銀河ほどより速い速度で遠ざかっているとするものである。これによって、宇宙は膨張しているとされてしまったのである。
 アインシュタインは、これに反論することができなかった。「均等に物質が存在する静止宇宙」という大前提が崩されてしまったのであり、それにより「宇宙は閉じた球面を構成している」ことまでも取り下げてしまったのである。つまり、全面降伏したのである。
 大御所がこんな状態になってしまったから、彼の跡を継いで「一定不変」の宇宙モデルを完成させようとする学者は、誰一人として残らず、また、その後においても現われず、この宇宙モデルは残念ながら立ち消えになってしまった。これでは困る。

4 アインシュタインの宇宙モデルの完成に向けて
 こうして、これは小生が自分でやるしかない、となった次第である。では、どうしたらよいか。古代インドの哲学者や釈迦は、深き森の中に入り込み、瞑想にふける中から真理を探し求めたようであるが、小生にはとてもその真似はできないし、それが実現したとしても、還暦を向かえ、既に蜘蛛の巣が張った硬い脳から新たな知恵が湧き出してくることは奇跡に近い。いや絶対にあり得ない。
 でも、何か手立てがあるだろう。早々にあきらめることもなかろう。やれることからやってみればよいのである。小生が取り得るのは、頭に残っている既知の事実を幾つか並べ立て、それらの中から何かが見えてこないかと、ぼんやり木々の梢ならぬ家の天井の雨漏りのシミでも眺めることである。瞑想の真似事である。
 こんなことをしても、何かが見えてくる確率は無限小であろうが、やってみるだけの価値はある。これは、好奇心という遊びごころから生じた趣味の世界のことであり、成果がゼロであっても、誰かからとやかく言われるものでもないし、いつまでにという期限があるわけでもない。ちっとも見えてこず、嫌になったら、そこで止めても誰からも叱られない。気楽なものである。
 そんなわけで天井眺めを始めた。前の年も同じようなことをした。小生の処女論文「食の進化論」を執筆中に壁にぶち当たったときに、これをやった。そしたら、「A≠非A」が「A=非A」であることが分かったり、「A=B」と絶対に考えられていたことが「A≠B」であることも発見した。「レンマの論理」と「ロゴスの論理」がバイロジック(複論理)に働いて、目から鱗のごとくパーッと全てが繋がって、ものの見事に解決したのである。
 2匹目の「柳の下のドジョウ狙い」である。何の取っ掛かりがなくてもワクワクする。やろう、やろう、早速取り掛かろう。
 アインシュタインがたぶん行ったのと同じように、頭に残っているものだけを頼りにして、ただひたすら想像に想像を重ねて、それを広げていく。ぼんやりと思考回路を回し続ければよいのである。自分の頭に残っている既知の事実の1つ1つを時々引っ張り出したり、引っ込めたりしながら想像を膨らませてやればよいのである。しごく単調な繰り返しを幾度となく行うのであるが、なぜか時間を忘れ、楽しさはいつまでも持続するから不思議なものである。
 小生の場合は、主として営業時間中の客待ち時間に、これを行った。月初めのセールが終れば空き時間が多くなる。天井眺めをしているときに客が来れば、そこでストップし、宇宙論のことがすっかり頭から消えてしまい、接客に専念することもできる。気分転換が、また効果的である。客が帰ってしばらくしてから、天井眺めを再開したときには、思考回路がリセットされていて、頭の回し方が変わるようでもある。

 小生の頭の中に残っていた事実や現象で度々登場させたものは、主として次のものである。(太字の見出しだけを目で追い、説明文を飛ばしていただいてもよいです。)
・物質があると回りの空間がゆがむ
 1919年に南半球で起こった皆既日食の際、太陽の直ぐ横に位置していた明るい恒星が本来あるべき位置からどれだけかずれて観測されて、太陽の巨大な質量による空間のゆがみによって、光が曲げられることが立証された。空間は物質の存在でゆがむのである。
 また、水星の近日点移動は、ニュートン力学での計算値と観測値に、わずかなずれが生じており、長年の謎となっていた。これは、太陽の強い引力による空間のゆがみが原因ではなかろうかと、一般相対性理論の重力場の方程式に当てはめて解いたら、謎となっていたずれと見事に一致し、太陽と水星というけっこうな距離を保って離れていても、空間のゆがみが生じていることが立証された。
 この2つの例からして、物質があると周りの空間がゆがむということは間違いのない事実である。
・宇宙には測地線というものがある
 一般相対性理論を解くと出てくるそうだが、等速直線運動をする場合に、遠く離れた2つの点を最短距離で結ぶ線は、距離が最も短く、かつ、最も時間がかかるものになるという。これを測地線と言う。これは宇宙空間にゆがみがあることが原因なのだそうだ。理屈は全く分からないが、ひとまず、そういうものとしておこう。
・遠い銀河ほどより速い速度で地球から遠ざかっている
 先に説明したハッブルの法則であるが、単にそのように見えるだけで、本当は別の現象を捉えているのではないか、という大いなる疑問。この現象は、定常宇宙では有り得ない出来事であるからだ。
・同一波長の電波が宇宙のあらゆる方向から地球に降り注ぐ
 1965年に、米国のベル研究所の研究員が衛星通信用の高感度アンテナに原因不明の電波が混じることに気づき、アンテナをどの方向に向けても絶え間なく同一波長の同じ強さの電波が定常的に入ってくるのを発見した。その謎の電波の波長は、絶対温度2.73度の物体から発せられた光の波長と同質である。
 なお、この電波は、ガモフがビッグバン宇宙論を発表したときに予言したことと、概ね一致するものであった。その予言とは、宇宙の晴れ上がりのときに、4千度の物体から発せられた光は、宇宙の膨張により、現在ではその光の波長が引き伸ばされて、絶対温度5~7度の物体から発せられた光と同質の波長になって、宇宙に満ちているであろうというものである。これを宇宙背景放射と言う。
 この発見により、宇宙物理学界では、絶対温度の違いがあっても大差なしとし、ガモフの予言が当たった当たったと大騒ぎし、一気に「ビックバン宇宙論」を神格化させてしまったのである。
 しかし、この発見から40年以上も経つのに、絶対温度の違いを誰も説明できていないのであるから、謎の電波の発信源は、何か別のものではないかという疑問を持たざるを得ない。
・一般相対性理論はいろいろな解釈ができる
 一般相対性理論が発表されたのち、重力場の方程式に弱点が見つかった。重力場の方程式を解くと、宇宙は1点に収縮し、潰れてしまうことが判明したのである。そこで、アインシュタインは、「斥力(反発する力)」が働いているとして、重力場の方程式に「宇宙項」を挿入した。その後、宇宙項なしで重力場の方程式を解くと、宇宙は収縮したり膨張したりするという説や、宇宙は膨張しっ放しと解いたりする学者が現われた。その後に登場したインフレーション理論では、斥力がカギになり、宇宙項なしでは説明できないと言う。
 このように、同じ方程式を解いても異なる解答が出てきたり、宇宙項が必要であったり不要であったりするということは、ニュートン力学と同様に、この方程式はある一定の条件の下でしか成り立たないものであり、悪く言えば、真理から外れた近似式であるということになる。さらに、ずばり物を申せば、入れたり出したりせにゃならぬような方程式には「美しさ」は微塵もなく、何とも醜いものであり、もはやこれは真理とはほど遠い存在のものである。

 天井眺めを続けること2か月。ある日、ある切っ掛けで幾つもの現象がパーッと全て繋がって、小生の蜘蛛の巣の張った脳が見事に「晴れ上がった」。瞬く間に「一定不変」の宇宙モデルが完成したのである。あまりにもあっけなかった。
 最初に思ったことは、こんな簡単なことを、どうしてアインシュタインが思いつかなかったのだろうかという疑問である。まず、そちらを考えた。
 彼は、その類まれなる流動的知性による直観力でもって、「宇宙は一定不変」であることを思いついたことは間違いない。しかし、それを直ちに証明することはできなかった。
 その原因は何であったのだろうか。
 アインシュタインは、きっと、一般相対性理論をもとにして、それが説明できると過信したからであろう。その結果が、逆に宇宙が潰れてしまうということになってしまい、困惑し、その焦りから、斥力を持ち出すという過ちまで犯したと思われるのである。
 こうなったら、もうお終いである。永遠に迷路から脱出できなくなり、謎は解けないのである。そして、彼は自信をなくし、ついにギブアップしてしまったのだなあと、小生はついニヤリとしてしまった。そして、「アインシュタイン君よ、小生が君の宇宙モデルを完成させてあげたよ。」と、思わず生意気な言葉が口から出てしまった。

(つづき) → 第3章 Em宇宙モデル(第1節~第7節)
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プロフィール

昭和23年9月生まれの団塊世代人。    本名:三宅和豊              住所:岐阜県羽島郡岐南町三宅5-246  農家の長男として育ち、工業系の大学を卒業後、岐阜県庁に技術屋としてではなく事務屋として就職した変人。21年間県職員を勤めて、中途退職。父親が始めた薬屋稼業を平成6年に継いで今日に至る。平成12年頃から稼業の傍ら、母親の農業を手伝うなかで、百姓の魅力にとりつかれる。士農工商すべての身分を浅く広く何らかの形で経験していることが唯一のとりえである凡人。              著書は次のとおり。順次ブログアップ中。  随筆「ヤーコンの詩」(平成18年3月)   論文「食の進化論」(平成19年4月)   論文「新・学問のすすめ」(平成20年4月)論文「犬歯の退化」(平成22年9月)

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